加藤和樹、小西遼生(敬称略)について ミュージカル「フランケンシュタイン」感想③

こんばんは、あさがおです。

 

すでに公演は終わっているものの、未だにフランケンシュタインを脳内上演している毎日。

今日は、アンリ・デュプレ役の加藤和樹さん、小西遼生さんについて書きます!

 

お二人について語る前に、まず、アンリ・デュプレという役について語りたい。

すごく考察しがいのある登場人物ですよね。

 

なんせ、アンリのセリフは、この作品のテーマを象徴するものが多いと感じます。

アンリのセリフを丁寧に見ていくことで、この作品が伝えたかったことがわかるような気がするのです。

 

最も象徴的だと思ったのは、アンリがビクターの姉、エレンに言った言葉(正確性は△です)。

 

   人は皆、自分のことしか考えていないし、死んだら離れ離れだ。

   孤独こそが運命なら、黙ってそれを受け入れよう。 

 

そう、人は自分のことしか考えない生き物であり、死ねば終わり、離れ離れなのです。

それが真理だと、最初に客に突き付ける言葉。

 

 

ビクターに出会うまで、生きる意味を見つけられずにいたアンリ。

ただ、生きるということの本質を、上のセリフのように捉え、静かに受け入れていた。

そんな彼にとって、「死んだら終わり」という固定概念を覆そうと大きな夢を持ち、目を輝かせていたビクターは、眩しい存在だったことでしょう。

ビクターの存在が、アンリにとっての唯一の希望だったのかもしれません。

 

だからこそ、ビクターが殺人を犯して処刑されるかもしれない時、罪を被ろうとしたのでしょう。

ビクターの身代わりになって死ぬことで、自分が生きてきた意味を知ったのかもしれない。

 

 

そうしてアンリは、「君の夢の中で生きよう」と言って死んでいきます。

自分は死ぬけれども、ビクターが夢を諦めずに二人の理想を実現してくれれば、ビクターの夢の中に生き続けることになると考えて。

 

そんなアンリを生き返らせ・・・というより、アンリの首を使って新たな生命を創造したビクター。

そうしてできた「怪物」は、ビクターに捨てられ、人々から蔑まれ、虐げられます。

生まれた時から理不尽な攻撃を受け続け、誰からも愛されず、孤独に生きるしかなかった怪物。

 

ビクターは、孤独を受け入れ、死をも受け入れたアンリを身勝手に甦らせた上に、これ以上ない孤独な人生を与えたことになります。

しかも、ちょっと思っていたのと違ったからって(!)、「怪物」と呼んで殺そうとしました。

アンリとの理想もへったくれもありません。

君の夢の中に生きると言ったのに!!

まあたしかに、生き返ったアンリは一見攻撃的(というか加減知らず)だったので、身を守る必要はあったかもしれないけど。

 

 

ビクターとアンリが親友なので受け入れ難いですが、これこそ、人間であるビクターの業、エゴなのかなと思います。

それでも、ビクターは怪物を恐れながらも、ずっとアンリの影を追い求めてもいるんですよね。それもまた悲しいのです。

 

そして、2幕で怪物が出会う人間たちは、それはもう「自分のことしか考えていない」人たちです。

そもそも、この物語の根底には、「人間」とは?「生命」とは?という問題提起があるように感じるのですが、

「人間」と「怪物」はパラレル、というか、特に2幕の登場人物によって、「人間こそが怪物」という結論に導かれるのかと。

ビクターの創った「怪物」と、いわゆる観念としての「怪物=人間」。

この構図が、2幕に登場するカトリーヌの存在によって際立つ気がします。

 

今考えると、やはり、「人は自分のことしか考えず、死んだら離れ離れ」というアンリの言葉が正しいのかもしれません。

少なくとも、死んだら終わり、であるべきなのかな。

この点は、今後捉え方が変わるかもしれませんが。

 

 

 

さて、本題の加藤和樹さんと小西遼生さんの感想ですが、お二人とも歌唱力も表現力も文句なしですよね。

加藤さんの方が歌詞が聞き取りやすくて、ミュージカル俳優って感じの歌い方かなと思いますが、小西さんの声は本当に魅力的だし、お芝居も雰囲気があって好きです。

 

アンリの場合は、個々の感想を書くというより二人のアンリ(怪物)を比較しながらの方が書きやすいので、そうしますね。 

加藤和樹さんと小西遼生さん。

私、加藤さんはフランケンシュタインでしか拝見したことがなくて。

なので、他の方のように愛称で呼んでいないのですが、今日も加藤さんで行きましょう。

小西遼生さんは、私が観に行く舞台によく出演されているので、フランケン以外でも存じ上げていました。普段は「こにたん」と呼んでいますが、何となく威厳がなくなるので?小西さんで行きましょうか。

 

 

加藤さんのアンリの印象は「カラッと明るい」。

そして怪物の印象は「とにかく強い」。(大きくしてみました)

という感じです。

 

小西さんのアンリの印象は「アンニュイ」。

怪物は「可哀想」。

という感じ。

 

アンリの方から語っていきますが、2人のアンリで最も印象的なのは、断頭台に登ったところです(最後な)。

  勇気のなかった 過去を消し去って

  新たな世界描く君の 夢の中で 生きよう

と歌い上げる場面。

殺人の罪を一人で背負い、もう今から首を斬られるよという場面なのですが、加藤アンリは満面の笑みで最後まで歌い切ります。

そして小西アンリはここ、泣いてます。途中で歌えなくなるほど。

涙で息が詰まって次のフレーズを歌い出さないので、オケも待っていました(そして私は毎度ここで泣いていました)。

 

このアンリのソロ曲、「君の夢の中で」は、歌詞も美しいですが、オケもいいんですよね。

一番のサビ「今まで生きた人生の」のところは、何の楽器か分かりませんが、控え目で可愛らしい音が「ちゃらら ちゃらら」と鳴ってて(語彙力)、初演の頃から「トトロみたい〜」と思ってました(?)。

色で例えると、深緑というか、木々の間から光が差している森の中みたい。

二番のサビは、もうちょっとオーケストラ!って感じの演奏で、色で例えると黄色の強いクリーム色で、あったかい感じ。

そして大サビに入る前は一気に盛り上がります(色の印象はないけど、黄色かな?←照明の色では)。

断頭台に続く階段を上っていく演出もありますし、めちゃくちゃドラマティックです。

アンリ役の歌の聴かせどころですよね。

オケに負けない迫力で歌い上げてほしい場面です。

 

 

 

ところで、加藤アンリよりも先に小西アンリを観ていたので、加藤アンリの死の直前の満面の笑みを見て本当に驚きました。

 

なぜ笑ってるの?

 

俄然面白く感じたので、次に加藤アンリを観たときは、「どうやって、あの笑顔に辿り着くのか」という視点で観ていました。

 

先に書きましたが、加藤アンリは明るいんですよね、メンタル強そうな雰囲気。

小西アンリは沈思黙考型というか、内に秘めたものがありそうな。

冒頭から、二人ともそれぞれのカラーで演じて行くので、自ずと加藤アンリの時は物語の空気感がカラッと明るく感じます。小西アンリの時はしっとり、そこはかとなく悲しい感じ。

 

 

 

 

当然、ビクターとの関係にも違いが現れます。

 

加藤アンリは、ビクターに心酔しているように見えたなぁ。

ビクターの実験は、いずれ世界を救う、素晴らしい理想を実現すると。

だから、実験を続けるにはビクターが生き残った方がいい、自分が代わりに処刑されるのは本望だという気持ちになっていくのかもしれないと思いました。

前向きな死、というか。

 

対して小西アンリは、ビクターの実験が正しいのかどうかは分からない、ただ、生きる意味を見失っていた自分を救ってくれたビクターの力になりたい、実験に没頭して周りが見えなくなる危なっかしい彼を見守りたい、という兄のような心情が見えました。

そのせいか、最後の場面は、こんな結末になってしまったことを悔やむ気持ち(どこかで違う行動を取っていれば防げたかもしれない)が垣間見えるのかな。

死ぬのが怖いとか、死にたくない、という涙には見えないので。

 

 

あの笑顔のおかげで、加藤アンリの最期の場面は、切なさと清々しさが入り混じったような気持ちになりました。

そして、小西アンリの涙を見れば、こちらもただただ涙涙。

何故こんなことになってしまったんだぁ😭と思わずにいられませんでした。

 

この二人のアンリの違いは、本当に面白いと思いました。

どちらが正解とか、どちらの方がいいとかはなかった。

これぞWキャストの醍醐味だなと思いました。

 

余談ですが、アンリの裁判の場面、おそらく誰もが思ったことでしょう。

 

  ルンゲはどこ行った?

 

ビクター以外でアンリの無実を知る唯一の人間はルンゲ。

ルンゲ、アンリは無実だと証言してあげてよぉ、と毎回詮無いことを考えていました。

坊ちゃんに不利になることはできなかったのかな?

だからこそ、彼の証言の信用性は高いと認められたと思うのですが・・・。

でも、それだと違うお話になってしまいますもんね。悲しい。

 

 

 

 

 

 

気を取り直して、怪物について。

こちらも、加藤さんは(流石に加藤怪物とは言えない)「強そう!!(絶対死ななそう)」「サイボーグみたい!」「まさに怪物!!!」などと褒め称えてしまう雰囲気でした。

そして、小西さんは「可哀想・・・」「メンタル弱いのに、フィジカルが強すぎて何度も復活しちゃって可哀想・・・」「寒そうで可哀想・・・(半裸だから)」と、つい心配してしまったw

 

怪物の役作りで、二人の違いが面白いなぁと感じたのは

「俺は怪物」という歌でした。

  血は誰かの血

  肉は誰かの肉

  俺はつぎはぎだらけで生まれた

というフレーズがあるのですが、ここも二人の違いが如実に現れていて、

小西さんは「血は誰かの血(右手見る)・・・肉は誰かの肉(左手見る)・・・(シクシク)」という感じだったのに、

加藤さんは「血は誰かの血ぃぃぃ うがあああ  肉は誰かの肉ぅぅぅ おりゃあああ」と暴れ狂ってるイメージ(実際には別に暴れてません)で

  やっぱり強えええ!

って思いましたねw

でも、

  胸の丘(←多分)に顔埋めて笑ってた

  夢の続きを生きてみたい

って泣くところは、どちらの怪物も胸が締め付けられてね。

加藤さんはそれまで暴れてた分(暴れてない)、余計に辛くて。

何でしょうね。「夢の続きを生きてみたい」という表現がグッときたんですよね。

「夢の続きが見たい」って、日常でもたまに使うけど、「生きてみたい」って凄く切実だなと思います。

夢と現実が違いすぎて、夢が現実になってほしいと強く願うけど、実現しないことも知ってしまっている、だからこそ心の底から求めてしまう、みたいな。

ここも訳詞の良さを実感する、好きな場面ですね。

 

これも余談ですが、何でビクターはアンリの体を使ってあげなかったんだろう。

それなら、血も肉も、自分のものだったのにね。

 

 

 

 

ジュリアを殺した後、北極に行くと言って道に迷ってしまった怪物。

いや、本当に道に迷ったわけじゃなくて、比喩だと思いますけどw

ここで歌う「傷」という曲も、とっても美しい旋律です。

ちょっと明るい曲調なんですよね。

  一人の男がいた

の歌い出しから

  どう恋をして どう死ねばいい

あたりは、静かな水が流れるようで、少し涼し気なんですが

  答えを出せずに 自分のものだと

はテンポも上がって、少し心が温かくなるようなメロディ。

私は、個人的に、ここで、怪物がビクターのことを「仕方のない奴だな」と言っているような、口で言うほど憎んでいないような気がしました。

自分の存在を認めて愛してほしいと思っていたのかなぁ。

そういえば、ここでも

   一人の怪物がいた

のフレーズ。

大阪公演の小西さんは、「怪物」と言うのをためらうような間があって、オケもストップしていましたね。

加藤さんは東京でしか観られなかったので、後半にどのような変化があったのか分からないのですが、長い公演期間で出演者のお芝居も徐々に深まっていたように思います。

 

私、指揮者が演者を見ながら、歌いだすのに合わせて指揮棒を振るのが好きで。

当たり前かもしれませんが、ちゃんと歌い手の気持ちに寄り添って演奏しているのだなぁと思って。

舞台上とオケピが一体になっている感じがしますね。

  

 

 

 

 

 

さて、怪物について、最大の論点は「怪物はアンリだったのか」かと思います。

アンリの感情や記憶が少しでも残っていたのか?それとも、全く新しい別の命だったのか?

 

私は、小西さんの怪物はアンリの影が見え隠れしたような気がします。

おそらく、アンリの時と怪物の時で、声があまり変わっていなかったから。

加藤さんは、怪物の方が低くて強そう(こればっかり)な声だったので、なんとなくアンリとは別物という印象を受けました。

ただ、小西さんの怪物もアンリの感情がずっとあったかと言われると、そうとも思えず。

 

 

それでも、お二人とも、少なくともクライマックスの場面だけは、アンリの感情があったと思っています。

北極の場面ですね。

ビクターに撃たれた今際の際に、

  分かるか、ビクター!!

と叫ぶのです。

怪物がビクターのことを「ビクター」と呼ぶのは、(「ビクター・フランケンシュタイン、俺の創造主よ」と呼びかけるところ以外では)この場面だけだと思います。

それまではずっと「創造主」と呼んでいるので。

おそらく、「怪物」にとってはビクターは自分を創った人間であり、別に家族でもお友達でもないので、無機質に「創造主」と呼ぶのでしょう。

家族も友達も恋人もいないから、他の呼び方は知らないのかもしれません。

それが、最後だけ「ビクター」と呼ぶ。

アンリのように。

アンリの感情が残っていたのだとすると、とてつもなく切なくて悲しい一瞬なんですよね。

「ビクター!!」の一言に、いろんな感情が詰まっていると言うか、ビクターに伝えたい思いがたくさん詰まっているように感じました。

 

 

怪物の孤独って、それはもう筆舌に尽くし難い、想像を絶するものだと、2幕を観てきた私たちには分かっています。

望んでもいないのに生まれさせられ、親?に銃を向けられ攻撃されて、理由もわからず人間に虐げられ、誰にも愛されず、裏切られて傷つけられるだけの人生でした。

最後に「分かるか?」と問いかけた意味が、「俺の孤独が分かるか?」という意味なのか、「お前が創り上げた生命が悲惨な末路を辿ったと分かるか?」という意味なのか。

 

「お前が夢見たものは、これだよ」と言っているのか。

 

何れにしても、心がアンリなのだとしたら、実験は間違いだったと言っていることになるのかな。

それとも、せっかく生命を創造したのに、「怪物」と呼んで自ら攻撃したビクターの行為を責めているのか。自分はアンリだったのだから、諦めずに愛してほしかったと言う訴えなのか。

 

正解は分かりませんが、「死んでも、君の夢の中で生きられるなら」と言って犠牲になったアンリが、その夢を否定したのだとは思いたくなくて。

アンリとして、自分の存在を否定することになりますから。

でももしそうなのだとしたら、これ程辛いことってありますか?

逆に、「ずっと孤独だったんだよ」と訴えているだけだとしても、辛いんですけどね。

 

だから、本当はアンリの感情が残っていたとは思いたくないのですが、「ビクター!!」と呼ぶ声を聞くと、「ああ、アンリだ」と思わずにいられなくて。

ビクターも、「アンリ」って呼びますしね。

それに、最後の死に顔も。

安らかな笑顔で、ここは間違いなく、アンリの顔だと思いました。

 

 

 

 

とりあえず、アンリと怪物についてはここまでにします。

2幕の他の登場人物について書く際に、また触れることになるでしょうし、またこちらに書き足すこともあるでしょう。

 

 

最後に、加藤さんも小西さんも、アンリと怪物役を2ヶ月間演じ続けることは、肉体的にも精神的にも非常に負担が大きかっただろうと思います。

素晴らしい俳優さんが、フランケンシュタインの上演時に二人も存在してくれたことに感謝です。

どの場面も好きですが、ルンゲがジュリアとエレンに殺人事件について説明している時に、暗い舞台上を

  逃げろ ビクター連れて

と歌う踊り場まで爆走するお二人がカッコよくて好きでした。

 

 

 

ではまた〜🍀