宙組「群盗」 なぜアマーリアは最後にあの決断をしたのか。

こんばんは、あさがおです。

 

群盗ロスです。

 

そのため、更新が遅れていました。

 

群盗、良かったですよねえ・・・。

東京公演も観ました。

大阪の公演とは雰囲気が変わったなあと思いました。

アマーリア役のじゅり(天彩峰里)ちゃん、めっちゃ大人っぽくなってませんでしたか?

劇中のデュエダン、最初の抱きつきから変わってましたが、大阪はどーんってタックルのように抱きついて、キキちゃんが抱きとめるような感じでした。

「NOW ON STAGE」でも、「最初の抱きつきに命を賭けようと思った」というようなことを話されてましたけど、文字通り体当たり。

それも、ぜんっぜんダメじゃなかったんですよ。アマーリアの気持ちがね、伝わってきて、抱きとめるカールもカッコよかったし、その後のダンスも情熱的でね。

 

 

でも、東京は、カールをゆっくり抱きしめる感じでしたね。

しっかり抱き合う姿から、より二人の溢れる愛情が見えた気がしました。

その後のダンスも、情熱的というより落ち着いた大人のダンスという感じ。

落ち着いたって言っても、あそこはある程度アダルトな場面でしょうから、そんな感じはありましたけど(どんな感じだ)。

表情も、直情的な感じじゃなくて、相手に対する愛情をしっかり丁寧に表現しているように見えましたね。じゅりちゃんの表情も切なかったです。

とにかく良かったわ💕

フィナーレのデュエダンも息ピッタリで、久々に良いデュエットダンス観たな〜。

幸福感じました😊

お二人のコミュニケーションがちゃんと取れていて、信頼し合っていたのでしょうね。

短い公演期間で、しかもトップコンビみたいに毎回組むわけでもないのに、あそこまで持ってくるなんて、すごいの一言です。

 

 

 

 

 

 

さて、タイトルにもありますが、やっぱり、なぜ、アマーリアは死んだのか。考えずにはいられません。

前回の記事にも書きましたが、アマーリアの気持ちが自然とこう流れたんだなっていう風には納得できるんです。

ただ、なぜそういう気持ちの流れになったのか。

 

小柳先生が「考えるな、感じろ!」と生徒たちに仰ったことを思うと、このシーンがもっとも観客も「感じる」ことを求められる、そして、「感じる」ことによって心が揺さぶられるシーンかなと思います。

演劇ファンとしては、というか私は、こういう見方、結構好き。

否応無しに心が持ってかれて、うわーーーーーっ感動した!ていうの。

 

ただ、まあやっぱ考えますよね。なんで死ぬん❓って。

 

前回の記事でもやったことですが、アマーリアの気持ちを想像して考えてみると

直前に、フランツからカールに向けた「一体何人殺してきたんですか。」というセリフ。

アマーリアも、カールが何人も手にかけてきたのだろうと、実感するんでしょう。

その後、弾み?とは言え、カールに父親を殺されます。

また、父親とフランツがカールとモール伯爵を汚い手段で陥れたこと、挙げ句の果てには父親がフランツもモール伯爵も殺してしまったこと・・・

カールとの未来がないこと・・・

うん、絶望的。

今この瞬間、自らの意思で生を終えたいと決断するのも無理はないかと、一応納得できないこともない。

ですが、現代の感覚が邪魔をして

        うーん、でも、死なんでも!(>_<)

という気持ちを拭えない。

死んだら終わりですから。

もしかしたら、宗教的な知識があれば、もう少し腑に落ちるのかもしれませんが、無知な私にはそれも難しく。

というか、原作も、カールに捨てられるくらいなら殺してくれ〜みたいな流れでしたし。宝塚版はまだ分かりやすくしてくれてたなあと思います。

 

 

 

そこで、ちょっと違う視点から考えてみました。

アマーリアの舞台装置としての役目と言いますか。

群盗のテーマ?は疾風怒濤で、若者たちが自由を求めて(正しい道とは言えないけれど)時代を駆け抜ける様を描いているのだと思いますが

一方で、特に宝塚版は、「罪と罰」というテーマもあるように思います。

 若さゆえに、理想を追い求めて間違った道を突き進んでしまったカールは、どこかで自身の罪と向き合い、心底悔いて、罰を受けなければならない。

そのための装置として、アマーリアがいたのではないかしら。

 

アマーリアが、「私たちの星はすれ違ってしまった」「幸せな過去は喪われてしまった」とカールに現実を突きつけ、死ぬことを決意する。

それは、カールにとっては、自分の行いが愛する人を苦しめ、生を終わらせることまで決断させてしまったということ。

ヒリヒリしますね。

ちょっとこれ、自分が自分の行動で辛い目に遭うよりよっぽど辛くて、後悔の念で悶絶するやつです。

なんてことをしてしまったんだろうと。

罰なら自分だけに下してくれと、神様に向かって叫びたくなるでしょう。

取り戻せるなら取り戻したいけれど、時間はどうやっても元には戻せない。

絶対戻せない。

どうすることもできないこと、を初めて実感したんじゃないでしょうか。

 「壊れた物は壊れた物だ・・・」

というセリフが出てくるのもわかります。

ここでカールがそれまでの自分の行いを心から悔いたからこそ、それに見合う罰を受ける覚悟が決まるのだと思います。

カールにそんな覚悟をさせるための道具として、アマーリアの決断があったのではないか・・・

書き手側からの見方になりますけど、そして少し技巧的ではありますが、そのように意図的に置かれた仕掛けだと思うと、納得できる部分もありました。

また、大阪公演では最後の決断のシーンのカールは憔悴しきっていて観ている方も辛くて胸が潰れそうだったのに対して、東京公演では罰を受けると覚悟を決めた姿に清々しさすら感じました。

そこから、アマーリアが、カールに覚悟を決めさせる引き金として、あのように描かれたのかなと思いました。

 

 

 

ま〜、正解はないですが!  

こんな風にあーだこーだ考えるという楽しみ方ができる作品、大好きです!

いろんな方の解釈を見て、確かにそういう見方もできる!って思えるのも、楽しい✨

 

小劇場ではちょっと冒険的な演目もできるから、トンデモもあれば良作もあります。

今後も、今回の「群盗」みたいな見応えのある作品、上演してください。

 

 

 

 

 

ではでは、今夜はこの辺で・・・。