露崎春女(敬称略)について ミュージカル「フランケンシュタイン」(2020)感想④

こんばんは、あさがおです。

新型肺炎の影響で、劇場はおろか、近所への買い物すら行きづらい日々です。

毎日、どこで何人感染者が出たというニュースを見ていると、気が滅入ってきますね。

こんな時は自分を大事に、甘やかして、ストレスを溜めないようにしたいものです。

 

 

 

さてさて、前回から時間は経ってしまいましたが、まだ「フランケンシュタイン」について語りますよ!

本日は、エレン/エヴァ役の露崎春女さん。

個人的には、露崎さんとジュリア/カトリーヌ役の音月桂さんのお二人がフランケンシュタイン2020のMVPではないか、と思うほど、本当に素晴らしかったです。

他のキャストと同様、露崎さんと音月さんを一度に書こうと思っていたのですが(というか、ちまちまとお二方について書いていたのですが)、書き終わるのにものすごく時間がかかってしまいそうなので、とりあえず本日は露崎さん分のみ投稿しようと思います。

 

 

露崎春女さん、「フランケンシュタイン」は今回初出演。

いやいや、ミュージカル自体が初めてなんですって!

とても信じられません!!

正直、キャストが発表になった時、エレン役が初演の濱田めぐみさんじゃなくて、少しがっかりしたんです。

濱めぐさんが特別好きというわけではないけど、やっぱり今の日本のミュージカル界を代表する女優さんですし、そうでなくてもキャストが変わるってファンにとっても少し不安を感じるところですから。

しかも、ミュージカルには出演したことがない方とのことだったので、あの難しい楽曲を歌いこなせるのだろうか・・・と心配してしまったのです。

ところがどっこい、何ともはや。

も〜、ね。露崎さん・・・素晴らしかったですよ・・・

心配なんかして、本当に御免なさいでした。

 

 

初見の時は、歌い方がやや粗いというかロックっぽいというか、特にエレンのソロ曲は息継ぎが激しいのが気になったりしました(エヴァの歌はめちゃくちゃカッコ良かったです。)。

しかしながら、露崎さん、回を重ねるごとに、どんどん、メキメキと良くなっていったんですよ。

 

彼女の一番の魅力はお芝居だと思います。

歌手の方って、ミュージカルに出ても、俳優の方々に比べるとお芝居面に深みがなかったりするのですが、露崎さんはエレンもエヴァもとっても魅力的に作り上げていらしなぁと思う。

彼女のエレンは本当に温かくて、ビクターに対する愛情の深さが滲み出ていました。

でも、ただ優しい姉じゃないんですよ。

「アンリが濡れ衣を着ているから、早く自首しなさい。」とビクターを説得している場面、まさか実験のためにアンリの首が欲しくて黙っているのではと思い至り

  何もかも手に入れる 望むもの全てを

  恐ろしいわ その頭は どうなっているの

と叫ぶのですが、エレンの善良さと、姉だからこそとれる非難の態度というか、遠慮のない非難なんだけど、そこに身内のちかしさも含んでいるような、そういう複雑な色を感じられたのが良かった。

そう、露崎さんのエレンは、いろんな色がぐるぐると混ざり合っている球体のようで、非常にリアルな人間味があった気がします。

歌声も、上演期間前半こそ少し尖ったように聴こえたけれど、おそらく役が深まるに連れ、声にも深みと温かみが感じられるようになりました。

千秋楽の頃には、「もう、私もこんなお姉さん欲しい!私もエレンに抱きしめられたい!!」と思ったほど。

露崎さんのエレン、大好きです。

 

どこが好きか、自由に語りますが・・・

まず、物語の冒頭、アンリにビクターの幼少期を

  少し特別だった 大きな目の弟

と語る、あの長い曲、「孤独な少年の物語」。

あの曲はほぼ回想シーンなので、エレンとビクターの両親が亡くなった場面や民衆から罵られる場面、叔父のシュテファンに引き取られた場面、ジュリアとの出会い、ビクターがジュリアの飼い犬を生き返らせた場面、ビクターが外国に留学する場面などなど、その都度いろいろな人が出て来ては歌ったり芝居したりするのです。

露崎さんも、その時々の過去のエレンとして登場しながら、合間合間に現在のエレンとしても出て来て、アンリに話して聞かせている風な歌を歌うのですが

とにかく長い。

露崎さんにしてみれば、子供時代のエレンと現在のエレンの気持ちを行ったり来たりしているわけだし、現在のエレンとしては単に回想しているだけではなくて、アンリに語って聞かせているスタンスを貫かなければならないわけで、体力的にも精神的にもものすごくハードなのではないかなと想像していました。

特に、リトル・ビクターが生命についての本を読んでいると知ったときの

  知らなかった胸の内を

  あの子 母の死を認めてない

と歌うところは、ビクターの想いを知った、当時のエレンの驚愕とビクターへの憐れみ、そして現在のエレンの語りを同時に表現しているように感じられて、個人的に大好きです。

これを毎回、集中力を切らさずに歌い上げるものだから、最後の

  神よお守りください

を歌い切った時には、私も毎回、「よくやった!!(うんうん)」と涙ぐみながら拍手していました(誰)。

 

そして、何と言っても「その日に私が」ですよ。

「フランケンシュタイン」で最も泣ける歌、いや、「どうしても泣いてしまう」歌ではないでしょうか。

露崎さん、リトル・ビクターに語りかける時は少し高めの声で優しいんです。

「留学をしたら、あなたはひとりぼっちなのよ。姉さんはそばにいられないから。」と諭す声が、幼い弟への愛情と一人で外国にやる申し訳なさと、自分自身の寂しさがないまぜになっていて、思い出しても涙が出ます。

本当に、露崎さんは声が多彩な方だなと思います。

きっとエレンは、ビクターが眠れずに泣いている夜は抱きしめてあげていたのだろうな。

 

私はいつも

  今度あなたに会えたら

  私がぎゅっと抱いてあげるから

のところで、一幕のある場面を思い出していました。

それは、エレンがビクターの研究所(フランケンシュタイン家の城)を訪ねる場面。

あそこで初めて、戦争から帰って来たビクターとちゃんと顔を合わせるのですが、その時のエレンの微笑みが、正に、「帰って来たら抱きしめてあげるから」と言って幼い弟を送り出した姉の微笑みで。

多分抱きしめたかったんだろなぁ、ずっとビクターを不憫に思いながら過ごしていただろうし、戦争から無事に帰って来て嬉しかっただろうし。

でも、ビクターはプイッとどこかへ行ってしまうのです。

親やきょうだいへの態度なんて、みんなそんなものですよね。

優しくされても冷たく返してしまったり、思いやりに欠ける言動を取ってしまったり。

「その日に私が」を聞いていると、この再会の場面を思い出して「ああ、あの時になぜ優しくできなかったんだよ、ビクター。」と、心底哀しくなったんですよね。

 

 

 

 

 

このように、エレンも魅力たっぷりに演じられていた露崎さんですが、エヴァも凄いんです。

エヴァの「欲と血の世界」は毎公演、圧巻でした。

多分、エヴァの曲の方が元々の露崎さんの声質や歌い方に近くて、合っているのだろうなと感じました。

エヴァを見ていて、プリンシパルがそれぞれ二役の意味、良さが分かった気がします。

エレンもエヴァも露崎さんが良いですもの!!

しかも、お芝居の点でも、見事に闘技場の悪どい女主人を演じられていました。

もう本当に、自分のことしか考えていませーん!って感じで。

かなり弾けないと難しいお役ですよねぇ・・・。

今ふと思ったのですが、露崎さん、もしかしたらお芝居はずっとされていた方?

でも公演プログラムのプロフィール欄を見ても、音楽一本のようです。

 

私、もともとの露崎さんのファンとかじゃないんですよ。

だからどっかの回し者というわけじゃないんです。

公演を観て素直に感動して、今回露崎さんが加わってくださって良かったなって(立ち位置)。

 

また何かに出演されるかな?

次の再演には必ず出ていただきたいなぁ。

 

 

 

と、ちょっとエレンについてが長くなってしまってバランス悪いですが、ひとまずこの辺で。

またちょいちょい書き足していきます。

 

 

ではでは🍀

 

 

 

 

 

珠城りょう、退団発表。

こんばんは、あさがおです。

 

月組トップスターの珠城りょうさんが、退団を発表されました。

驚きました。

全然予想だにしていなかったので。

 

たまきち。

彼女に対して特別思い入れがあるわけではないけど、彼女がトップスターになってからの演目は、結構好きでした。

どのスターが好きだから観たい!というのではなく、ミュージカルファンとして楽しめる演目が多かったし、組として安定したレベルを保っていた気がします。

 

これまで、「たまきち、棒読みじゃない?」とか「高音が出切ってないよ」とか言ってきましたが、それでもたまきちは好きだったんですよね、私。

他の方なら「それは芝居心あるって言わないよ」とか「いや、ちょっと歌練習してちょうだいよ」とかもっと心から突っ込んでたのですが、たまきちは「そうは言っても大体何でもできてるよね」と思っていたから、「ちょっとここは気になるよ」という程度だったというか。

いや、もう単純に、「感じが良い」から好きだったんでしょうね笑。

 

そう、彼女は感じが良いんですよ。

普段のトークを見ていても、相手への配慮や思いやりを感じたし、精神的に非常に安定した大人という雰囲気でした。

研究科9年という若くしてトップスターになったから、色々苦労もあっただろうけど、成熟していたのかもしれません。

 

トップスターとしては4年以上務めることになるのかな。

最近のトップスターの中では長めの任期ですが、まだまだこれから男役として変化してくるかなぁと思っていたので残念です。

美園さくらちゃんとも似合っていて、もっと色々見たかったなぁ。

うーん。

贔屓ではないけど、結構寂しいな。

たまきちはいてくれるだけで安心感を与えるタイプなので、いなくなると思うと不安だ。

 

 

記者会見で本人も泣いてしまったみたいですね。

重荷を背負っていたんだろうな。

 

退団会見を見ると、あ、彼女たちもまだ若い女性だったんだってハッとします。

私を含めてファンは普段、やれ歌が〜、ダンスが〜、芝居が〜と偉そうに批評してるけど(そしてそれはプロなら受けて当然なんだけど)、それを向けられていた彼女たちは、まだまだ若い女性で、決して強いわけでもなく、必死で自分と戦いながら舞台を務めてくれていたんだなぁと、改めて思ったりするのです。

ごめんね、とは思わないけど(それも失礼だから)、本当にありがとう、という気持ちになります。

 

特に、たまきちみたいな若くして抜擢されたスターに対しては、ファンの方々も、「劇団に大事にされているし若いから辞めないだろう」とタカを括って(?)気軽に批判しがちなので、退団を発表されると「えっもう辞めちゃうの?」と決まり悪く思う方もいるのでは。

技術的なことへの意見ならまだしも、意地悪な気持ちで批判するのは謹んだほうがいいですよね。

 

 

 

あ〜、たまきち辞めちゃうのか〜。

さみし〜。

長いな〜と思う時もあったけど、やっぱりいなくなるのは寂しいな〜。

でも、こうやって一時代築いたスターが惜しまれながら辞めていって、残った人たちで新しい舞台を作って行くのが宝塚。

これまでも、これからもそうして繋がって行くんですよね。

 

 

たまきちの最後の日まで、応援しましょう。

 

ではでは🍀

加藤和樹、小西遼生(敬称略)について ミュージカル「フランケンシュタイン」感想③

こんばんは、あさがおです。

 

すでに公演は終わっているものの、未だにフランケンシュタインを脳内上演している毎日。

今日は、アンリ・デュプレ役の加藤和樹さん、小西遼生さんについて書きます!

 

お二人について語る前に、まず、アンリ・デュプレという役について語りたい。

すごく考察しがいのある登場人物ですよね。

 

なんせ、アンリのセリフは、この作品のテーマを象徴するものが多いと感じます。

アンリのセリフを丁寧に見ていくことで、この作品が伝えたかったことがわかるような気がするのです。

 

最も象徴的だと思ったのは、アンリがビクターの姉、エレンに言った言葉(正確性は△です)。

 

   人は皆、自分のことしか考えていないし、死んだら離れ離れだ。

   孤独こそが運命なら、黙ってそれを受け入れよう。 

 

そう、人は自分のことしか考えない生き物であり、死ねば終わり、離れ離れなのです。

それが真理だと、最初に客に突き付ける言葉。

 

 

ビクターに出会うまで、生きる意味を見つけられずにいたアンリ。

ただ、生きるということの本質を、上のセリフのように捉え、静かに受け入れていた。

そんな彼にとって、「死んだら終わり」という固定概念を覆そうと大きな夢を持ち、目を輝かせていたビクターは、眩しい存在だったことでしょう。

ビクターの存在が、アンリにとっての唯一の希望だったのかもしれません。

 

だからこそ、ビクターが殺人を犯して処刑されるかもしれない時、罪を被ろうとしたのでしょう。

ビクターの身代わりになって死ぬことで、自分が生きてきた意味を知ったのかもしれない。

 

 

そうしてアンリは、「君の夢の中で生きよう」と言って死んでいきます。

自分は死ぬけれども、ビクターが夢を諦めずに二人の理想を実現してくれれば、ビクターの夢の中に生き続けることになると考えて。

 

そんなアンリを生き返らせ・・・というより、アンリの首を使って新たな生命を創造したビクター。

そうしてできた「怪物」は、ビクターに捨てられ、人々から蔑まれ、虐げられます。

生まれた時から理不尽な攻撃を受け続け、誰からも愛されず、孤独に生きるしかなかった怪物。

 

ビクターは、孤独を受け入れ、死をも受け入れたアンリを身勝手に甦らせた上に、これ以上ない孤独な人生を与えたことになります。

しかも、ちょっと思っていたのと違ったからって(!)、「怪物」と呼んで殺そうとしました。

アンリとの理想もへったくれもありません。

君の夢の中に生きると言ったのに!!

まあたしかに、生き返ったアンリは一見攻撃的(というか加減知らず)だったので、身を守る必要はあったかもしれないけど。

 

 

ビクターとアンリが親友なので受け入れ難いですが、これこそ、人間であるビクターの業、エゴなのかなと思います。

それでも、ビクターは怪物を恐れながらも、ずっとアンリの影を追い求めてもいるんですよね。それもまた悲しいのです。

 

そして、2幕で怪物が出会う人間たちは、それはもう「自分のことしか考えていない」人たちです。

そもそも、この物語の根底には、「人間」とは?「生命」とは?という問題提起があるように感じるのですが、

「人間」と「怪物」はパラレル、というか、特に2幕の登場人物によって、「人間こそが怪物」という結論に導かれるのかと。

ビクターの創った「怪物」と、いわゆる観念としての「怪物=人間」。

この構図が、2幕に登場するカトリーヌの存在によって際立つ気がします。

 

今考えると、やはり、「人は自分のことしか考えず、死んだら離れ離れ」というアンリの言葉が正しいのかもしれません。

少なくとも、死んだら終わり、であるべきなのかな。

この点は、今後捉え方が変わるかもしれませんが。

 

 

 

さて、本題の加藤和樹さんと小西遼生さんの感想ですが、お二人とも歌唱力も表現力も文句なしですよね。

加藤さんの方が歌詞が聞き取りやすくて、ミュージカル俳優って感じの歌い方かなと思いますが、小西さんの声は本当に魅力的だし、お芝居も雰囲気があって好きです。

 

アンリの場合は、個々の感想を書くというより二人のアンリ(怪物)を比較しながらの方が書きやすいので、そうしますね。 

加藤和樹さんと小西遼生さん。

私、加藤さんはフランケンシュタインでしか拝見したことがなくて。

なので、他の方のように愛称で呼んでいないのですが、今日も加藤さんで行きましょう。

小西遼生さんは、私が観に行く舞台によく出演されているので、フランケン以外でも存じ上げていました。普段は「こにたん」と呼んでいますが、何となく威厳がなくなるので?小西さんで行きましょうか。

 

 

加藤さんのアンリの印象は「カラッと明るい」。

そして怪物の印象は「とにかく強い」。(大きくしてみました)

という感じです。

 

小西さんのアンリの印象は「アンニュイ」。

怪物は「可哀想」。

という感じ。

 

アンリの方から語っていきますが、2人のアンリで最も印象的なのは、断頭台に登ったところです(最後な)。

  勇気のなかった 過去を消し去って

  新たな世界描く君の 夢の中で 生きよう

と歌い上げる場面。

殺人の罪を一人で背負い、もう今から首を斬られるよという場面なのですが、加藤アンリは満面の笑みで最後まで歌い切ります。

そして小西アンリはここ、泣いてます。途中で歌えなくなるほど。

涙で息が詰まって次のフレーズを歌い出さないので、オケも待っていました(そして私は毎度ここで泣いていました)。

 

このアンリのソロ曲、「君の夢の中で」は、歌詞も美しいですが、オケもいいんですよね。

一番のサビ「今まで生きた人生の」のところは、何の楽器か分かりませんが、控え目で可愛らしい音が「ちゃらら ちゃらら」と鳴ってて(語彙力)、初演の頃から「トトロみたい〜」と思ってました(?)。

色で例えると、深緑というか、木々の間から光が差している森の中みたい。

二番のサビは、もうちょっとオーケストラ!って感じの演奏で、色で例えると黄色の強いクリーム色で、あったかい感じ。

そして大サビに入る前は一気に盛り上がります(色の印象はないけど、黄色かな?←照明の色では)。

断頭台に続く階段を上っていく演出もありますし、めちゃくちゃドラマティックです。

アンリ役の歌の聴かせどころですよね。

オケに負けない迫力で歌い上げてほしい場面です。

 

 

 

ところで、加藤アンリよりも先に小西アンリを観ていたので、加藤アンリの死の直前の満面の笑みを見て本当に驚きました。

 

なぜ笑ってるの?

 

俄然面白く感じたので、次に加藤アンリを観たときは、「どうやって、あの笑顔に辿り着くのか」という視点で観ていました。

 

先に書きましたが、加藤アンリは明るいんですよね、メンタル強そうな雰囲気。

小西アンリは沈思黙考型というか、内に秘めたものがありそうな。

冒頭から、二人ともそれぞれのカラーで演じて行くので、自ずと加藤アンリの時は物語の空気感がカラッと明るく感じます。小西アンリの時はしっとり、そこはかとなく悲しい感じ。

 

 

 

 

当然、ビクターとの関係にも違いが現れます。

 

加藤アンリは、ビクターに心酔しているように見えたなぁ。

ビクターの実験は、いずれ世界を救う、素晴らしい理想を実現すると。

だから、実験を続けるにはビクターが生き残った方がいい、自分が代わりに処刑されるのは本望だという気持ちになっていくのかもしれないと思いました。

前向きな死、というか。

 

対して小西アンリは、ビクターの実験が正しいのかどうかは分からない、ただ、生きる意味を見失っていた自分を救ってくれたビクターの力になりたい、実験に没頭して周りが見えなくなる危なっかしい彼を見守りたい、という兄のような心情が見えました。

そのせいか、最後の場面は、こんな結末になってしまったことを悔やむ気持ち(どこかで違う行動を取っていれば防げたかもしれない)が垣間見えるのかな。

死ぬのが怖いとか、死にたくない、という涙には見えないので。

 

 

あの笑顔のおかげで、加藤アンリの最期の場面は、切なさと清々しさが入り混じったような気持ちになりました。

そして、小西アンリの涙を見れば、こちらもただただ涙涙。

何故こんなことになってしまったんだぁ😭と思わずにいられませんでした。

 

この二人のアンリの違いは、本当に面白いと思いました。

どちらが正解とか、どちらの方がいいとかはなかった。

これぞWキャストの醍醐味だなと思いました。

 

余談ですが、アンリの裁判の場面、おそらく誰もが思ったことでしょう。

 

  ルンゲはどこ行った?

 

ビクター以外でアンリの無実を知る唯一の人間はルンゲ。

ルンゲ、アンリは無実だと証言してあげてよぉ、と毎回詮無いことを考えていました。

坊ちゃんに不利になることはできなかったのかな?

だからこそ、彼の証言の信用性は高いと認められたと思うのですが・・・。

でも、それだと違うお話になってしまいますもんね。悲しい。

 

 

 

 

 

 

気を取り直して、怪物について。

こちらも、加藤さんは(流石に加藤怪物とは言えない)「強そう!!(絶対死ななそう)」「サイボーグみたい!」「まさに怪物!!!」などと褒め称えてしまう雰囲気でした。

そして、小西さんは「可哀想・・・」「メンタル弱いのに、フィジカルが強すぎて何度も復活しちゃって可哀想・・・」「寒そうで可哀想・・・(半裸だから)」と、つい心配してしまったw

 

怪物の役作りで、二人の違いが面白いなぁと感じたのは

「俺は怪物」という歌でした。

  血は誰かの血

  肉は誰かの肉

  俺はつぎはぎだらけで生まれた

というフレーズがあるのですが、ここも二人の違いが如実に現れていて、

小西さんは「血は誰かの血(右手見る)・・・肉は誰かの肉(左手見る)・・・(シクシク)」という感じだったのに、

加藤さんは「血は誰かの血ぃぃぃ うがあああ  肉は誰かの肉ぅぅぅ おりゃあああ」と暴れ狂ってるイメージ(実際には別に暴れてません)で

  やっぱり強えええ!

って思いましたねw

でも、

  胸の丘(←多分)に顔埋めて笑ってた

  夢の続きを生きてみたい

って泣くところは、どちらの怪物も胸が締め付けられてね。

加藤さんはそれまで暴れてた分(暴れてない)、余計に辛くて。

何でしょうね。「夢の続きを生きてみたい」という表現がグッときたんですよね。

「夢の続きが見たい」って、日常でもたまに使うけど、「生きてみたい」って凄く切実だなと思います。

夢と現実が違いすぎて、夢が現実になってほしいと強く願うけど、実現しないことも知ってしまっている、だからこそ心の底から求めてしまう、みたいな。

ここも訳詞の良さを実感する、好きな場面ですね。

 

これも余談ですが、何でビクターはアンリの体を使ってあげなかったんだろう。

それなら、血も肉も、自分のものだったのにね。

 

 

 

 

ジュリアを殺した後、北極に行くと言って道に迷ってしまった怪物。

いや、本当に道に迷ったわけじゃなくて、比喩だと思いますけどw

ここで歌う「傷」という曲も、とっても美しい旋律です。

ちょっと明るい曲調なんですよね。

  一人の男がいた

の歌い出しから

  どう恋をして どう死ねばいい

あたりは、静かな水が流れるようで、少し涼し気なんですが

  答えを出せずに 自分のものだと

はテンポも上がって、少し心が温かくなるようなメロディ。

私は、個人的に、ここで、怪物がビクターのことを「仕方のない奴だな」と言っているような、口で言うほど憎んでいないような気がしました。

自分の存在を認めて愛してほしいと思っていたのかなぁ。

そういえば、ここでも

   一人の怪物がいた

のフレーズ。

大阪公演の小西さんは、「怪物」と言うのをためらうような間があって、オケもストップしていましたね。

加藤さんは東京でしか観られなかったので、後半にどのような変化があったのか分からないのですが、長い公演期間で出演者のお芝居も徐々に深まっていたように思います。

 

私、指揮者が演者を見ながら、歌いだすのに合わせて指揮棒を振るのが好きで。

当たり前かもしれませんが、ちゃんと歌い手の気持ちに寄り添って演奏しているのだなぁと思って。

舞台上とオケピが一体になっている感じがしますね。

  

 

 

 

 

 

さて、怪物について、最大の論点は「怪物はアンリだったのか」かと思います。

アンリの感情や記憶が少しでも残っていたのか?それとも、全く新しい別の命だったのか?

 

私は、小西さんの怪物はアンリの影が見え隠れしたような気がします。

おそらく、アンリの時と怪物の時で、声があまり変わっていなかったから。

加藤さんは、怪物の方が低くて強そう(こればっかり)な声だったので、なんとなくアンリとは別物という印象を受けました。

ただ、小西さんの怪物もアンリの感情がずっとあったかと言われると、そうとも思えず。

 

 

それでも、お二人とも、少なくともクライマックスの場面だけは、アンリの感情があったと思っています。

北極の場面ですね。

ビクターに撃たれた今際の際に、

  分かるか、ビクター!!

と叫ぶのです。

怪物がビクターのことを「ビクター」と呼ぶのは、(「ビクター・フランケンシュタイン、俺の創造主よ」と呼びかけるところ以外では)この場面だけだと思います。

それまではずっと「創造主」と呼んでいるので。

おそらく、「怪物」にとってはビクターは自分を創った人間であり、別に家族でもお友達でもないので、無機質に「創造主」と呼ぶのでしょう。

家族も友達も恋人もいないから、他の呼び方は知らないのかもしれません。

それが、最後だけ「ビクター」と呼ぶ。

アンリのように。

アンリの感情が残っていたのだとすると、とてつもなく切なくて悲しい一瞬なんですよね。

「ビクター!!」の一言に、いろんな感情が詰まっていると言うか、ビクターに伝えたい思いがたくさん詰まっているように感じました。

 

 

怪物の孤独って、それはもう筆舌に尽くし難い、想像を絶するものだと、2幕を観てきた私たちには分かっています。

望んでもいないのに生まれさせられ、親?に銃を向けられ攻撃されて、理由もわからず人間に虐げられ、誰にも愛されず、裏切られて傷つけられるだけの人生でした。

最後に「分かるか?」と問いかけた意味が、「俺の孤独が分かるか?」という意味なのか、「お前が創り上げた生命が悲惨な末路を辿ったと分かるか?」という意味なのか。

 

「お前が夢見たものは、これだよ」と言っているのか。

 

何れにしても、心がアンリなのだとしたら、実験は間違いだったと言っていることになるのかな。

それとも、せっかく生命を創造したのに、「怪物」と呼んで自ら攻撃したビクターの行為を責めているのか。自分はアンリだったのだから、諦めずに愛してほしかったと言う訴えなのか。

 

正解は分かりませんが、「死んでも、君の夢の中で生きられるなら」と言って犠牲になったアンリが、その夢を否定したのだとは思いたくなくて。

アンリとして、自分の存在を否定することになりますから。

でももしそうなのだとしたら、これ程辛いことってありますか?

逆に、「ずっと孤独だったんだよ」と訴えているだけだとしても、辛いんですけどね。

 

だから、本当はアンリの感情が残っていたとは思いたくないのですが、「ビクター!!」と呼ぶ声を聞くと、「ああ、アンリだ」と思わずにいられなくて。

ビクターも、「アンリ」って呼びますしね。

それに、最後の死に顔も。

安らかな笑顔で、ここは間違いなく、アンリの顔だと思いました。

 

 

 

 

とりあえず、アンリと怪物についてはここまでにします。

2幕の他の登場人物について書く際に、また触れることになるでしょうし、またこちらに書き足すこともあるでしょう。

 

 

最後に、加藤さんも小西さんも、アンリと怪物役を2ヶ月間演じ続けることは、肉体的にも精神的にも非常に負担が大きかっただろうと思います。

素晴らしい俳優さんが、フランケンシュタインの上演時に二人も存在してくれたことに感謝です。

どの場面も好きですが、ルンゲがジュリアとエレンに殺人事件について説明している時に、暗い舞台上を

  逃げろ ビクター連れて

と歌う踊り場まで爆走するお二人がカッコよくて好きでした。

 

 

 

ではまた〜🍀

 

 

 

 

宝塚歌劇 上演中止に。

こんにちは、あさがおです。

イベントや演劇が次々中止され、暇な週末を過ごしています。

宝塚歌劇も本日2月29日から3月8日まで公演を中止すると発表がありました。

 

西では礼真琴さん、舞空瞳さんのお披露目公演であり、長い間男役として劇団に貢献し、ファンの心を掴んできた華形ひかるさんの退団公演でもある、星組「眩耀(げんよう)の谷/Ray」が上演中でした。

東では雪組「Once upon a time in America」。こちらも、長年の功労者である舞咲りんさん、早花まこさんらの退団公演であり、望海風斗さん、真彩希帆さんトップコンビにとっても、退団前の貴重な公演です。

そして、愛知県では月組「赤と黒」が、東京池袋では月組の鳳月杏さんの初東上作品「出島小宇宙戦争」が上演中でした。

 

どの公演も、ファンにとって、特別で大切な公演。

まさか新型コロナウイルスの影響が、こんな形で出るなんて。

 

宝塚に限ったことではなく、あらゆる演劇、コンサート、イベントが次々と中止になり、ディズニーランドやUSJなどの施設も閉園していますね。

エンタメ業界の灯が今、ほとんど消えてしまっている状態です。

 

このブログでは、政府の対応等については何も言うつもりはありませんが、このようなことになったことは本当に残念でなりません。

 

宝塚OGや演劇業界、音楽業界の方々、主催者の方々が、なんとか踏ん張りながら、ファンが暗くならないようにSNSで発信してくれているのを見ると、涙が出ます。

悲しいけど、今は沈み込まずに、すぐに元の状態に戻ると信じて待ちましょう。

 

 

 

 

 

中川晃教、柿澤勇人(敬称略)について ミュージカル「フランケンシュタイン」感想②

こんばんは、あさがおです。

 

フランケンシュタイン、終わってしまいました・・・。

幸せな2ヶ月間でした。

大千穐楽までに感想を書き上げようと思っていたにもかかわらず、筆が遅いために結局時間がかかってしまいました。

 

前回は、初演から再演に向けての個人的な思いについて書きました.

今回、どういう構成で書こうかと悩んだのですが、キャストごとに感想と、見どころを思うままに書いて行きましょう。

 

 

 

まずは中川晃教さん。あっきー。

最初にお断りしておきますが、私はあっきー大好きです。

あっきーが出ているというだけで、よく知らない演目も観に行きます。

フランケンの初演も、あっきーが主演ならと思い観たクチです。

その点、ご理解の上、読んでいただければと思います(少し辛口になるので)。

 

彼は言わずもがな、ミュージカル界のカリスマです。

天才的に歌が上手い。

 

ただ、今回の公演は、声が小さくて歌詞やセリフが聴き取れないところが多かった気がします。

あっきーは、もともとシンガーソングライターです。

なので、ミュージカルでも、どうしても「歌ってしまう」んですよね。

セリフにメロディーがついているというよりも、歌そのものというか。

それで、もしかしたら一曲の歌として聴かせるために、強弱をつけてしまうのかもしれない。

でも客としては、もちろん歌としても聴いているのですが、セリフでもあるわけなので、歌詞が明瞭に聴き取れないとビクターの心情やストーリーの流れがわからないんですよね。

初演では気にならなかったんですけどね。むしろ、どの曲も声量も迫力もある歌唱でした。

再演で余裕が生まれたせいなのかしら。

歌いながら体でリズムを取ってしまうのも、たまに気になりました。

セリフの一部だと考えると、リズムを取ったり、「歌を歌っている」という表情になるのがおかしく見えるんです。

 

あと、お芝居も独特というか、間が長い。

なので、掛け合いの場面が微妙な空気になることもありました。

たとえば、処刑前のアンリに面会に行く場面。

アンリの房に着いたのに、去って行く看守をずっと見ていて、なかなかアンリの方を向かないのでなんだか話が止まってしまっているように感じたり、アンリのセリフに対する反応までの間が長すぎたり。

あっきーの中ではきちんと気持ちの流れがあるのだと思いますが。

見ている方が予期するタイミングで会話が進まないので、違和感を感じることもありました。

 

割と全編通してフラットな印象でもありましたね。

カッキーのビクター(ジャックも)が感情爆発型なので、見比べると大人しく感じる時も。

まあそれは、Wキャストの醍醐味なので、二人とも爆発型よりも面白いのですが。

特にジャックの方は、あっきーはあれで良かったとホッとしました。

初演の時は、もうちょっとエキセントリックで、カッキーと差があまりなかった気がするのですが、なんだかあっきーのイメージとは違ったせいか痛々しく見えたものですから。

 

 

個人的には、あっきーにも、全曲、全力で、魂の叫びのように歌って欲しかったなあと思います。

 

 

ただ、私は、フランケンシュタインのような、新しく、ある意味冒険的な作品の初演、再演にあっきーが出演するということ自体に大きな意味があると思っています。

ミュージカルファンは、「中川晃教」が天才的に歌が上手く、カリスマ的なオーラを放つ舞台人だということを知っています。

だから、あっきーがキャスティングされていれば、

  多分良い作品なんだろう

  とりあえず、歌が大事な要素なはずだ

  (そしてその点に関しては心配無用なはずだ)

  何はともあれ、あっきーが出るなら良い作品に(彼が)するはずだ

という絶対的な安心感を与えてくれる方です。

客に受け入れられるか分からない、受け入れられない可能性も多分にある作品では、やっぱりそういったファンから信頼されている俳優をキャスティングしないといけないかなぁと思います。

特に、フランケンシュタインは、蓋を開けてみれば脚本も楽曲も素晴らしい作品なので、日本にこの作品を根付かせるためにも、あっきーの力は必須だったと思いますね。

 

だからこそ、今回の再演のあっきーは、もっともっと感動したかったなぁと残念になりました。

と言いつつ、ちゃんとあっきーの回も泣いたし、歌も感動したんですが、「本気の全力で歌ったら、もっともっと凄いはず」という気持ちは拭えませんでした。

 

 

 

 

さて、次は柿澤勇人さん。カッキー。

彼は、初演の時、正直ノーマークだったのですが、まあ、たまげました。

この世に、あっきーと同レベルに歌える人がいたのか、と。

歌に関しては、本当に全く遜色なかったし、カッキーの方が俳優なだけあってお芝居が細かかったから、私は実は初演の時も、総合的に見てカッキービクターの方が好きでした。

(あっきーが芝居より歌優先になってしまうのは、「モーツァルト!」の頃からなので。そしてそれがあっきーの役割でもあるので。)

ですから、今回の再演も、カッキーにはめちゃくちゃ期待していたのです。

 

東京、名古屋、大阪と観て、今は声を大にして言いたい。

 

柿澤勇人は日本ミュージカル界の宝だ と。

 

めちゃくちゃ上手いですよね、歌(褒め方が陳腐)。

芝居もめちゃくちゃ良いですよね(同上)。

あの、難易度の高い楽曲を、3時間弱、全力で歌い切るだけでも凄いのに、歌唱もちゃんと芝居になってる。

芝居の一部として歌っているので、表情とか動きとかが役の心情に沿った自然なものなんだけど、ちゃんと要所要所で魅せるんですよね。

例えば、「僕はなぜ」の歌い出し、客席に背中を見せている状態から振り返る時に、コートの裾を翻すのですが、めちゃくちゃカッコイイ。

たまにそういう芝居がかったことをするのが、楽曲の壮大さと相まってより劇的に見えるので、観ていて引き込まれるのだと思います。

センスが良いわ〜と思います。

 

また、フランケンシュタインは、オケがかなり荘厳というか、大袈裟ですが、カッキーの歌声は、声量でも迫力でもオケに負けません。

それが観ていて、聴いていて有難かった。

オケに歌が負けちゃうと、作り手の独りよがりな作品に見えちゃうんで。

胸が冷たくなるんですよね。

そういうことは一切なかった。

 

 

芝居に関しては、あれだけ精神的に追い詰められるビクターを演じながら、途中でなんともエキセントリックなジャックも演じるという・・・。

まずビクターからですが、カッキーのビクターは何であんなに可愛いのですかね。

エレン(姉)が亡くなった後の回想シーンとか、ジュリアが亡くなった後に怪物を見つけたシーンとか、泣き顔が赤ちゃんですね。

本当は赤ちゃんなんだなぁと思うと、1幕のビクターは自信満々だけど、まだ本当に打ちのめされたことがない、やっぱりお子様なのかなぁと思いました。

あっきーの方が実年齢が上だからか、まだ大人っぽいですね。

 

エレンから、「アンリが濡れ衣をかぶろうとしているのになぜ黙っているのか、アンリの首が欲しいのではないか」と責められた時、カッキービクターは割と図星な感じ(しかもあまり罪悪感なさそう)でしたが、あっきーはそういう気持ちがあることに内心気づいているものの、良くない事だと十分理解しているように見えました。

怪物が生まれた時も、カッキーはアンリの死をある意味利用してしまったのだということを忘れて、生命を創造できたことを単純に喜んでいるように見えました。

あっきーは、アンリが生き返ったことを喜んでいた感じ。

あっきービクターの方が、ほんの少しだけ分別がある気がします。

 

ジャックについては、あっきージャックは先ほども書いたように、大人しめ。

単に嫌な奴という感じですかね。

カッキーのジャックは、少し品がないというか卑猥というかなんというか・・・なので、賛否あるかもしれませんが、私はかなり癖になりました。

まあ、あっきーがかなりスタンダードな感じのジャックを演じてくれていたからでもあると思います(二人ともこんなだと、食傷気味になったかも)。

特に、「びくたーふらんけんちゅたいんの、じっけんにっしー!」とか「わーっ!こいつ完全に狂ってやがるー!!」とか好きでしたねww(ピンポイント)

あ、あと、頭のキレたヤバい奴かと思いきや、チューバヤと怪物の対決を見ながら「裏があるなきっと」と歌うところは、突然冷静で頼り甲斐のある男風?になるので、妙にカッコ良く感じたり。

 

 

ところで、楽曲に関してですが、ジャックのソロ曲「お前は怪物だ」も良いですね。

フランケンシュタインに捨て曲なしと思う所以です。

ああ、でもそこにプリンシパル全員2役の意味があるのかな。

別キャストだったら、ジャック、エヴァは主役級の方ではなく名脇役的な俳優になるかもしれませんよね(カトリーヌとジュリアの場合は逆かも)。

そうなると、ジャックとエヴァについては、客もどうしても脇役として見てしまうでしょうから、無意識に気を抜いてしまう可能性もあり。

楽曲全てを聴かせるための2役なのかもしれないなぁ。

ま、この点はまたゆっくり考察します。

 

 

そうそう、私がフランケンシュタインで最も好きな歌は、ビクターの「後悔」です。

ジュリアが怪物に殺された場面で歌われるこの歌。

    これ以上の痛みが この世にあるだろうか

で始まります。

ここ、あっきーよりもカッキーの方が、いつまでもジュリアに触れているんです。

ジュリアとの関係性についていえば、あっきービクターの方が愛情を感じるんです。

二人の場面は多くないけど、あっきーの醸し出す雰囲気から、普段の彼がちゃんとジュリアのことも考えているし、愛情表現もしていそうと感じました。

カッキーは、割とつれないというか、多分、うまく愛情表現できないんでしょうねという感じ。

余談ですが、ジュリアの「二人でいる時くらい、私を見て」というセリフもありますが、ここの音月桂ちゃん、あっきーとの時は「もう、私のことも見てよっ」と、明るめ可愛めなのに、カッキーとの時はしゅんとしてた気がします。

それが、「後悔」の場面で、カッキーがジュリアの手や顔や髪の毛に触れて、いつまでも離れないものだから・・・。

本当は誰より大事に思っていたんだと、胸が締め付けられる場面です。

それとは別に、この「後悔」という歌、ビクターの全てが詰まっている気がするので好きなんです。

サビだけ抜き出しますが、

    懺悔しても時は戻せない 許されない過ち

    神よこれが 宿命(さだめ)か

    一人の男が

    挑み驕り 迷いあがき

    最後に弱さを知るのが

 

    懺悔しても時は戻せない 誰が知るのだろうか

    僕が 

    挑み驕り 迷いあがき

    今はただ泣いてると

 

1幕からのビクターの人生が、走馬灯のように頭を駆け巡ります。

アンリと共に新しい世界を作ろうと、挑み続けたこと

生命を創造してやる、自分にはできる、創造主だと驕っていたこと

でも、生み出したのは怪物で、迷い苦しんだこと

そして最後に愛する人を全て失い、ただ泣いていること

 

原曲の歌詞がそうなのでしょうけど、本当に、訳詞の美しさよ!!!

ありがとう、森雪之丞さん!!

ただこの曲も、ただ美しい言葉を使っているというわけではなく

「懺悔」という耳障りの決して良くない単語が使われていたり、「驕り」「あがき」という、通常、人が自らの状況として直視し辛いことを、ビクターにストレートに歌わせている点が、非常に印象的です。

この曲を聴くためだけに通いたかったくらい(いや、全曲全力で耳を傾けていましたが)。

 

 

 

 

 

話を戻すと、あっきービクターは少し分別のある大人、カッキービクターは赤ちゃん、ということでした(?)。

あっきーもカッキーも、生命の創造という野望に取り憑かれて(そこには母親の死という原因もあるのですが)親友を怪物にしてしまう点では同じですが、あっきーの方が自分の行為の意味が分かってそうですね。

まあ、それが余計に辛いのですが。親友の死を利用しようとしていること、それは許されないことだということ、でも心の奥底では(アンリの首を)渇望していること、罪悪感と共に生命を創造したいという野望からアンリを生き返らせたこと・・・全ての矛盾する感情を、自らも理解しているように感じて辛いんです。

だからこそ、あっきーの結末は「罰」でもあり「償い」でもある。

「やっと贖罪ができる」という風に見えるので、とても悲しい最後だけど清々しくもあります。

カッキーに関しては、自分の行為の意味を本当には理解せずに怪物を作りだしてしまい、最終的に罰を受ける、その時に本当の意味で自分のしてしまったことの残酷さに気付いて心の底から後悔する、という構図に見えて、ただただ胸が痛みます。

 

 

どちらのビクターも素晴らしい。

ビクター役をここまでのものに仕上げられる俳優は、そう多くないでしょう。

あっきーのキャスティングは、先ほど述べたように必須だったかなと思いますが、

柿澤勇人氏をキャスティングしてくれたこと、また、カッキー自身がこんなに頑張ってくれたことに感謝です。

良い舞台を観られることは、ミュージカルファンにとって幸せの極みですから。

生まれてきて良かったとまで思いますからね。

 

 

 

 

思いのまま書きなぐってしまいました。

あとでまた修正したりすると思いますが、とりあえず今日はこのままアップしときます。

そして、他のキャストの方々については、また明日以降に。

 

では、また🍀

望海風斗、真彩希帆 退団発表

こんばんは、あさがおです。

 

フランケンシュタインの感想をどんどん書くぞ〜、と意気込んでいたところに昨日の衝撃ニュース・・・。

だいもん(望海風斗)ときぃちゃん(真彩希帆)が同時退団とな・・・。

 

フラグが立っているような気もしていたけど、ムラ公演が終わっても発表されなかったし、むしろオリンピックの聖火ランナー内定や、だいもんのコンサートの先行画像など、今後の活動についての発表が続いていたため

 次回公演で退団は回避したかな

とホッとしていたのに・・・。

 

悲しい。

おそらく、お二人が特別の贔屓ではない方々も、昨日はショックを受けたのではないでしょうか。

 

こんなに歌が上手なトップコンビ、いないよ?

言葉にしたら陳腐になったけど、それしか出てきません。

ここまで歌が上手いトップコンビはいなかったんですよ・・・。

奇跡だったんです。この二人が組んだことは。

いや、運命、または必然だったのかもしれませんね。

 

誰もがご存知のことかもしれませんが、二人がトップコンビを組むまでの道のりは、稀有なものでした。

レジェンドの始まりは、花組に在籍中、スカイステージの番組で共演し、「ファントム」の「HOME」を歌った時でしょう。

その時点で二人の歌唱力(主にきぃちゃんかな?)が話題になりましたね。

二人がコンビを組むことを願った方々も多かったことでしょう。

ところがその後、お互い組み替えして雪組と星組に別れてしまいました。

「ああ、二人がトップコンビを組むことは夢となってしまったかな」と誰もが思ったのではないでしょうか。

 

ところがどっこい。

 

なんと、きぃちゃんが雪組に組み替え!そして、程なく(早霧さんの退団公演を挟みましたが)だいもんとトップコンビを組むことが発表されました。

当時、星組で礼真琴ときぃちゃんのコンビを切望していた私としては、きぃちゃんをだいもんに奪われて、それはそれで悔しい気持ちにもなったのですが。

ずっとだいきほを夢見ていらっしゃった方々に当時の心境を聞くと、まあ皆さん大興奮ですよねw

「奇跡」という表現を使う方も多いですが、やはり「運命」だったのかなと、今となっては思います。

 

なーんて特に目新しくもないことを、昨日からつらつらと考えていたのですよ。

もっと二人の作品観たかったなぁ、とか。

でも、こんなに夢と感動をくれたコンビはいなかったかもしれない。

そりゃ、歴代トップコンビの中に大好きなコンビはいますし、現役コンビの方々も皆さん素晴らしくて、どの組を観に行っても最高に楽しめます。

ただ、個人的な贔屓云々は置いておいて、だいきほは、客観的に、完璧なコンビだったなぁと思うのです。

 

悲しみは続きそうですが、お二人が最後の瞬間まで、幸せな気持ちで舞台に立てるよう、精一杯応援していこうと思います。

 

ではでは🍀

 

 

フランケンシュタイン2020 感想①

こんばんは、あさがおです。

 

今日は、宝塚ではありませんが、ミュージカル「フランケンシュタイン」について、つらつら書こうかなぁと思います。

 

 

ミュージカル「フランケンシュタイン」。

韓国発ミュージカルで、日本初演は2017年でした。

 

ちょっと想い出話をさせていただくと、私、初演も観たのです。

そこで、ちょっと、それまでにはなかった体験をし、とても感動したんです。

それは何かと言うと、「新しい舞台を、演者と客席が一緒に育てていく」ということ。

 

初めて観たのは、上演期間の最初の方だったんです。

その時は、そのストーリーと演出の過激さに、正直、衝撃を受けました。

それは私だけではなくて、周りのお客さんもそんな感じでした。

ちょっと「シーン」とするような、驚きを隠せないような空気を感じました。

もちろん、楽曲の素晴らしさと、出演者の皆さんの歌唱力には圧倒されたので(主演コンビは柿澤勇人さんと加藤和樹さんでした。)、「これは凄いミュージカルだぞ」とは感じました。

 

その後、1週間おきくらいで観にいったのかな?

 

たしかそうだったと思う。

 

回数を重ねるごとに、楽曲も覚えてきて、その素晴らしさをより感じるようになり、出演者の熱演ぶりも相まって、どんどん熱狂していったんですよね。

周囲のお客さんを見ても、リピーターが増えてきてるなと感じました。

そして、私だけじゃなく、客席全体が、どんどんこの作品にのめり込んで行っているのが分かったんです。

最後に観たのは東京千秋楽の前日でしたが、その頃にはフランケン・フリークがたくさん誕生してたと思う。

本当に、「熱狂」という言葉しか見つからない雰囲気でした。

客席の熱に応えるように、舞台上の役者のお芝居もどんどん熱くなっていたように感じました(もちろん、合わない方もいらっしゃったとは思いますが)。

その時、「ああ、こうやって新しい作品を客が受け入れて、育てていくということがあるんだ」と実感したんです。

まさに、舞台上と客席が一体となって、一緒に作品を育てたという感じでした。

そのような場に立ち会ったのは初めてだったので、そう言った意味でも想い出深い作品になりました。

また、これまで日本ではあまりなかった種類の、ある意味「問題作」とも言えるこの作品が、こんなに受け入れられるなんて、日本のミュージカル・ファンもなかなか捨てたもんじゃないなぁとも思ったのでした(誰目線なのやら)。

 

 

そして、今回の再演が発表されるまでの約2年間。

耐えましたね〜。

そもそも、再演されるかどうかわからない状態でしたから。

その状態で、定期的にやってくる「フランケン・ロス」。

唐突に、「フランケンシュタインが観たいいいいいいいい!!!!!」ってなるんです。

ところが、宝塚と違って、音源も映像も発売されない。

ひたすらYouTubeで3分程度のPVを観ながら、心を慰める日々でした。

 

再演してほしい・・・。

でも、割と過激な作品だったし、一部ではウケたけど一般ウケしないと判断されてたら二度と上演されないかもしれない・・・。

 

そんなことを思いながら2年もの間、悶々としていたわけです。

 

ですから、再演の報を聞いたときは、本当に本当に本っっっ当に!嬉しかった!!!

夢見心地でした。

しかも、濱田めぐみさん以外は初演キャストのまま!

ううっ 幸せっ(涙)

 

 

 

 

ということで長くなりましたが、とっても思い入れのある作品だったわけですね。

もう、2020年の1月2月は、フランケンシュタインに捧げる気満々でございました。

今年、初めて観劇に行った時は、開演前からワクワクワクワクしてしまって。

そんな状態になるのは、かなり久しぶりだったな。

宝塚もそれ以外の作品も、観る前は当然楽しみなのですが、フランケンシュタインは、「もうすぐあの楽曲にまた会える!」と思うと、もうもう心臓が張り裂けそうなくらい楽しみで、テンションが上がってしまい、ちょっとキャラが変わってたくらいでした(大げさではなく)。

 

そんな感じで幕開けしたミュージカル「フランケンシュタイン」。

 

今、とっても幸せです。

予定通り、ほぼ毎週末、劇場に馳せ参じております。

それでも、もっとチケットを取っておけば良かった!と思う始末。

 

 

「フランケンシュタイン」のすごいところは

      中だるみがない

ところ。

 

普通、何回も観てると、休憩時間というものがあるものです(幕間のことではなく)。

でもフランケンにはそれがない。

始まってから最後まで、客が飽きたり、ダレたりする場面がない。

毎回毎回、初めて観るかのように「今観ている場面」に引き込まれて集中してしまうんです。

飽きない。

それは、各出演者が2役演じているという点にも理由があるのかもしれません。

 

あとは言わずもがな、楽曲の良さ。

どの楽曲も、旋律が美しいだけでなく、オケのアレンジも劇的で素敵。

ブロードウェイのもののように洗練されていない部分もあるかもしれないけれど、人の心を打つメロディなんですよね。

そして何より、日本語への訳詞の素晴らしさ。

森雪之丞さんの訳詞は、美しさと醜さのバランスが良くて、うまく表現できませんが、とてもとても胸に刺さります。

綺麗な言葉を並べているだけではないんですよね。

「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」の岩谷時子さんの訳詞もそうですが、日本語としてお上品で綺麗な言葉ばかりを使っているわけではない。

少しゴツゴツした言葉やザラッとした表現もあるんです。

敢えて小慣れていない、雑な表現を使っているというか。

だから聴き流してしまわない。

でも、メロディとの乖離がないので、耳触りは悪くない。

 

例えば、カトリーヌのソロ曲の中に「生きても意味がない」という歌詞がありますが、これもとても口語的というか、非常にストレートですよね。

「意味がない」なんて。

詩的な表現ではない。

でも、だからこそカトリーヌの境遇、心境がどストレートに胸に突き刺さるわけです。

余談ですが、「生きても意味がない」という言葉自体、(簡単な表現ですが)聞き慣れない言葉で、初演の時も印象に残りました。

「生きてる意味がない」はよく聞くけど。

 

 

 

 

 

そう、こんな風に、語りたい場面が多すぎて、とても一度では語り尽くせない・・・。

なぜ東京公演中からコツコツ書かなかったのか・・・。

もう名古屋公演が千秋楽を迎えてしまったじゃないか(おめでとうございました)。

きっと大阪公演が終わるまでに書き終わらないよ・・・。

 

それでも書き続けると思いますので、ご興味のある方はお付き合いくださいm(_ _)m

 

ひとまず、今日はこの辺で。

また〜🍀